「危険」を消費する : 日本人バックパッカーが旅で経験するスリルの文化・社会的意味
この事件を取材したある雑誌は,日本人バックパッカーの内面では,危険な状況に直面
したとき,それを回避するどころか,あえてそれに踏み込んでいくというような,錯綜し
た志向性が醸成されることがあるという指摘をしている。バックパッキングという旅の過
程で,さまざまな危険な状況に接し続けているうちに,危険に対する感覚が麻痺してくる
というのである[ヨミウリ・ウイークリー 2004]。つまり,一部の日本人バックパッカー
にとって,「戦場」は「戦場」だからこそ,行くべき場所になっていたのである。
自分は別に危なさ/リスクを求めているわけではないという事は忘れたくないblu3mo.icon
このような際限ない欲望の発露を踏まえれば,冒頭のイラク事件の日本人青年や同時期
にイラクに潜入を試みた日本人バックパッカーたちが見せた果てしない好奇心が,けっし
て常軌を逸した「逸脱的行為」ではなかったことが理解できるはずだ。彼らをリスキーな
行為に誘導するシステムと,リスク消費に対する欲望のエスカレーションをもたらすメカ
ニズムが,バックパッキングには,あらかじめ,内蔵されているからである。
「何か別の価値を求めてリスクを取る」であれば天秤が機能するが、「リスクを取りたいからリスクを取る」だとストッパーがないのでエスカレーションが進むblu3mo.icon
前者も天秤次第では危ないが、後者は最悪だな
バックパッキングにおいて,初めて大麻を吸ったときの興奮はきわめて強い。異国の地
で日本ではできない「逸脱的」な行為を試すスリルは,「異界」を強烈に実感できるに違
いない。しかし何度も吸ううちに興奮とスリル感は減少していく。初めて経験したときと
同じ強度のスリルと興奮を味わうためには大麻から LSD へ,そしてヘロインへとリスク
の強度を上げていかなければならない。そうだとすれば彼らがリスクを冒すとき「ヘロイ
ンは旅のあいだにしかしないから自分は中毒にはならない」[Uriely & Belhassen 2006 :
339―359]などと,リスクを冒すことの正当性を自分に都合のいいように構築することは
当然の帰着であるだろう。
この自己成長のメカニズムを異なった視点でとらえてみると,別の側面が見えてくる。
つまり,彼らが他者に旅物語を提示するのに熱中するのは,提示するたびに細部が異なっ
た旅物語が紡がれ,そのたびに自己が変更されていくことを実感できるからである。もし
も,彼らの旅の目的の一つに「自己成長」や「自己変革」が含まれているのならば,彼ら
は自分の旅物語を他者に提示し続けなければならない。日本人バックパッカーは,現地社
会の人々よりも,他の日本人バックパッカーとの交流に熱心だという指摘がコーエンによ
ってなされているが[Cohen 2003 : 95―110],彼らの旅の目的を踏まえれば,それはある
意味で必然だったのである。